Melbourneのギリホリブログ

barista修行のために30歳で日本を飛び出したギリホリGirl!!

オーストラリアとコロナとギリホリGirl①

こんばんは。


メルボルン在住のギリホリGirlです。
パートナービザ申請中で、
ベトナム系オーストラリア人のパートナーと一緒に暮らしています。


いままで、つらつらと2~3年前のことを書いていたのですが、
今日は、現在のことを書こうと思います。


オーストラリアでは、3月16日の週から、コロナで生活が激変しました。


それまで私は3つの仕事を持ち、
かなり忙しく働いていたのですが、
いまはもうほとんどの仕事がなくなりました。


仕事①カフェ(Higher Ground/Barista)
シティにある大きなカフェ。
 メルボルンいち大きい、と言っても過言じゃありません。
 平日でバリスタ5人、フロアスタッフ8人、キッチン8人ぐらいで働いていました。


でも3月20日の時点で、すべての仕事がキャンセル。
いまは2~3人でTake awayのみで営業しています。



仕事②コーヒーショップ(Cartel Coffee/Barista)
こっちはシティにある、小さなコーヒーショップ。
ロースターでとってもコーヒーが美味しいのです♡


このお店でも週2~3日、バリスタとして働いていました。
通常はマネージャーと二人体制で働いていたのですが、
いまは何とかマネージャーが一人でお店を回している感じです。
もう、人件費払えないからね。。。



仕事③日本語の学校(Japaneasy/JapaneaseTeacher)
去年、日本語教師養成講座と受けて、日本語教師になりました。
ここも、週3日くらい、カフェの仕事が終わった後に働いていました。


いまは家から、オンラインレッスンをしています。
なので、ここでもらっているシフト(週5時間ぐらい)だけ
働けている状況です。


それぞれのお仕事については、また後日:)


3月3週目に、自分の稼ぎ柱であるバリスタの仕事をぜーーんぶ失い、
相当悲しかったし、不安でした。
正直、泣きました。週5時間じゃ生きていけないよ・・・シクシク。


家のローンが払えないじゃないか、
日本に帰れないじゃないか、
お先真っ暗,
しかも政府の発表によると、この状況が最長6か月つづくと・・・


まぁ泣いてても仕方ない!!と気を取り直して
日本で言うハローワークのようなところに行きました。
失業保険的なものをもらうために。(これをJOBSEEKERといいます)


ロックダウンがはじまってすぐに
「コロナで仕事を失った人に対して、2週間ごとに$550支給します」っていう
発表があったんです。
この時点ではだれが対象になるかは明確にはされていませんでした。


もらえるかわからないけど、行ってみよう、ということで
朝から行ってみました。
早朝から長蛇の列。施設の中に入るまで2時間半、
そのあと手続きを進めるために必要な個人ナンバーをもらうために1時間半。
4時間。4時間も並びました。


その結果、≪INELIGIBLE≫ ん???なにの単語。見たことない。
しらべました・・・≪対象外≫
おぉーい、なんでやねん。


対象者にはいくつか条件があって、
【オーストラリア人】か【永住権】をもつ者であること。第一条件ではじかれたー。


頑張って働いて、家も買ってオーストラリアの経済活動に貢献してるけど?
税金も納めてきたけど?
こちらに永住するためにビザ申請中で、
出国できないから日本に帰ることもできないけど?


ちょっと。けっこう悲しい気持ちになったかな。仕方ないけど。


オーストラリアは住みやすい国だし、国民に対してはすごく手厚いと思います。
「国民に対しては」です。はやく永住権取るしかない。


というわけで、オーストラリアの方針としては、
海外からの一時居住者(学生、ワーホリ、就労、その他)は
早く国へ帰りましょう。
政府からは援助できませんからね、残りたい人は自力で生活してねっていうことです。


負けない。
もう自分でお金を生み出すしかない!


つづく。

いざ語学学校へ入学!

さて、2017年5月10日にオーストラリアはメルボルンへ
降り立ったギリホリGirl。


すぐに語学学校に入学しました。
語学学校の入学手続きは全部、
日本でエージェントにお願いしてました。
(ちなにみ私は、AICという会社にお願いしました:)


選んだ学校はAbility という学校で、
学費は高すぎず、シティーの真ん中にあって、
日本人の比率が高くない。
という条件のもと、ここに決めました。


実際は日本人は15人ぐらいのクラスに3人、多かった時は5人ぐらいでした。
日本の春休みや夏休みが重なる時期は、
大学生が短期留学に来たりしていて、一気に日本人は増えます。



入学初日はまず、レベルチェック。
まずはグラマーとリスニングもあったかな?のテストを受けます。
その週の入学者全員が一斉にスタート。


グラマーは選択問題、
ちょっとライティングもありました。


終わった人から、順番にスピーキングのテストのために個室に移動。


先生:ハロー
わたし:ハロー からはじまり、


先生:どうしてオーストラリアに来たの?
わたし:あ、あいわな びー ばりすた・・・
    めるぼるん いず ふぇいますと・・・


という簡単な会話を2~3分して終了。


すぐにテストの結果がでます。


もうあんまり覚えていないけど、
グラマーはUpper Intermediate
ライティングは Elementary
スピーキングは Intermediateという感じでした。
リスニングのことは何も覚えていない・・・
総合結果、Intermediateという中級クラスに。


え?一番下に入れてください。
文法は分かる、でも喋れないんだよ、ほんとうに。
嬉しい反面、内心焦っていたわたし。


くそ!日本で自己紹介やどうしてワーホリに行くのかとかの会話、
練習しすぎた。そこだけ得意。


なにを隠そう、
出発前に、某うさぎの英会話スクールに3か月みっちり通いましたからね。
何回もワーホリにいく話、したんだよ。


でも、それ以外はYes、No、Thank you、Sorry、しか出てこないよ。
どうしよう。


そして、すでに授業が始まっているクラスに突然放り込まれます。


クラスでの自己紹介もめっちゃ練習したけど、
そんなことは聞かれず、さっそく授業スタート。


分からない。分からなすぎる。
クラスメイト、え?みんな私と同じレベルなの?
圧倒されるギリホリGirl。(涙目)


でも、クラスメイトも先生もみんないい人でした。



そんなこんなで、初日はただただドキドキして、終了。


あーなつかしいな。

わたしの計画

どんな予定でメルボルンに滞在することにしたか。


ワーホリに行こうと決めた時にはすでに
30歳目前。


セカンドビザを取りに行く時間の余裕はなさそう…
かと言って、
たったの1年で全く話せない英語を使って、
納得のいく経験を得る自信もない…


そうだ学生ビザで語学学校へ行こう!!
その間に人脈を作ったり、街のことを知ったりして、
ワーホリの1年は思う存分に働こう!!
という考えに至りました。


※もちろんワーキングホリデービザでも語学学校へは通えます。
ただ、上限があって17週間まで。
この期間で全く話せない人が仕事でさらにネイティブと話せるようになるのは
なかなか難しいかなと思います。



ということで、私の計画はこちら。


2017年5月上旬(30歳4か月) 
  日本を旅立つ
  そのまま語学学校入学とホームステイ1か月、
  その後シェアハウスへ引っ越し。


2017年11月上旬(30歳10か月)
  語学学校卒業。


2017年11月下旬 
  日本へ一時帰国(ワーキングホリデービザ取得のため)


2017年12月中旬(30歳11か月)
  再度渡豪、メルボルンへ。ワーキングホリデー開始!!


2018年11月(31歳10か月)   
  日本へ帰国し、カフェ開業準備に入る。


こんな感じでざっくり予定を組んで、
意気揚々と日本を離れました。


それぞれの時期の年齢を見てもらえば一目瞭然!!
超ギリホリです。


そしてここからは苦労の連続です。


つづく